2026/10/09 14:57



(この記事は2020年に書かれた文章を加筆修正したものです)

とある昼下がり、私は渋谷駅を歩いていた。

ふと前方に目をやると、都会の人混みの中にあるはずのないものが目に飛び込んできた。

炊飯器。

左手に炊飯器ぶら下げた男が歩いていたのである。

一見したところ三合炊きの小型炊飯器だが、一人分の米を炊くには十分なサイズ。紺色に塗られた艶めくボディと取っ手。あれはもう炊飯器で間違いない。

でも、なぜ渋谷のど真ん中で彼は炊飯器なんかぶら下げてハチ公改札に向かっているんだろう。

合宿かキャンプにでも行くのか、それとも帰りか。

友人にどうしても今日中に米を3合炊かないといけないから炊飯器を貸してくれと頼まれたのか。

または彼が急ぎの用事、いや炊事のために借りたのだろうかー

その男性を目にしてから0.4秒くらいの間に、私の頭の中をそんな考えが駆け巡っいた。私は混乱していた。だって、渋谷駅で炊飯器を裸で持ち歩く人なんて見たことがなかったし、たぶんこれからも見ることはない。

しかし次の瞬間、私の視線は彼の右肩に移った。

黒くて、平たい、全長1mくらいの鞘のようなものを背負っている。表面には「prince」の文字。そうか、彼はテニスをやる……ということは。

そう、彼が左手に持っていた紺色の物体は炊飯器ではなく、ポータブル式ウォーターサーバーだったのだ。

彼がラケットケースを持っていなかったら、私の脳は渋谷駅を出るまで彼のことを「炊飯器を持った謎の男性」として認識し続けていたことだろう。

(なお万が一の確率で本当に炊飯器かもしれないと思ったのでこっそり前に回り込んで確認したら、きちんと給水口が付いていた。よかった)

3合炊き炊飯器改めウォーターサーバーの男性を追い越し、JRの改札を出て井の頭線方面に歩きながら、私は考えた。

今回の「ウォーターサーバー見間違え事件」では、もし私が「炊飯器」という道具を知らなかったら、もっと言えば「米を炊飯器で炊く」という文化圏で育って来なかったら、十中八九起こり得なかった勘違いだ。

そして同時に、「テニスのラケットケース」や「ウォーターサーバー」について知識がなければ、やはり自分の勘違いに気づくこともなかった。

人間は多くの事象に対して自分の過去の経験や知識に基づいて物事を認識する。

同時に、こうした小さな発見を日常のあちこちで見落として、気づいたとしても心に留めずにすぐに忘れてしまう。人生は、そういう一見どうでもよさそうな経験が積み重なってできている。

だから、この一件を忘れた頃にまた渋谷駅で紺色に塗られた艶めく物体を手に下げた人を見かけたら、私は迷わず「ああ、あれはウォーターサーバーだ」と思うのだろう。

もしそれが今度こそ三合炊きの小型炊飯器だったとしても。